20221025日記

2日目。

 新しい保険を契約しようとしたが過去の病歴の入力画面で戸惑ったのでやめた。2019年に適応障害を発症して半年休職した。このことがネックでどうにも契約しづらい。適応障害の治療の後もADHDであることが判明し、現在に至るまで治療?を続けている。精神障害に対する療法は治療というのだろうか?病気と障害は一緒くたにされがちだが、病気は完治があるが障害に完治は無い……はず。しかし保険の契約画面では完治か治療中か経過観察しかなかった。どれを選択すれば良いのだろうか。恐らく治療中で良いのだろうが治らないものを治療中とするのに違和感がある。

 あと勘違いでなければ価格comで検索した結果がPCとスマートフォンで違う。正確には検索条件が違う。健康診断の結果と喫煙者かどうかで値引きがあるはずなのだがスマートフォンではその条件が無かった。まあ金額は一緒だったのでどうでもいいか。

 色々調べてはいるが過去に精神疾患で休職した人間は安い保険を契約できるのだろうか。正直自分のせいだけではないのに損するのは自分だけというのは納得いかない。だからと言って保険会社の言い分もわかる。元々死ぬリスクが高いやつに保険金を払いたくないというのは真っ当な意見だと思う。結局のところそんなところに勤めてしまった自分の運の悪さと脱出までの判断の遅さがいけなかったのである。

 今日は寒かったので色々と防寒具を引っ張り出した。電熱スリッパに電熱手袋、着る毛布とニットカーディガン。暖かいのは良いのだが着脱が面倒。色々使っているがさらに電熱ブランケットも欲しい。なぜかというと電気代が安いからだ。昨年は2部屋同時にエアコンをつけて乗り切っていたが電気代が900kWを超えていて痛い出費だった。だから今年は電気代の安い防寒器具だけで乗り切ろうと考えている。リビングはペットのおもちがいるのでエアコンはつけっぱなしだが、別の部屋で仕事するときはエアコンはつけずに電気代の安い電熱機器だけで耐える予定だ。もし耐えられないようならリビングで仕事できるような環境を整えよう。モバイルモニタを買ってクローゼットにしまってある机を出して、椅子は今までのものを使おう。

 色々考えているとどうしても新しいものを買うような考えになってしまう。自分の物欲が強いせいだろうか。昔はいろんなものをどんどん買うのが好きだったが、ある程度広い自分のスペースを手に入れたら買った分狭くなるということを実感し始めた。狭い部屋だとどうせ元々狭いのだからいくつかものが増えたところで大して変わらなかったが、広いと逆にものを置くとするスペースがなくなっていくのがわかる。買ったその分捨てない限りスペースはどんどん無くなっていくのだ。貧乏性ゆえに捨てることに抵抗があるが、ものを置いておくということ自体に金が掛かっていると考えると使っていないものは捨てられるようになった。

 最近は服も捨てた。服には思い出があるものがいくつかあったが、どうせクローゼットの奥底にしまう程度の思い出だと考えたらすぐに捨てた。思い出は自分の頭の中に保管しておいて、これからの思い出をしまえるスペースを作ったと自分に言い聞かせたら気分は楽だった。

 一度服を買ってしまうとその服に似合う服や靴を探してしまう。どうせ買ったのだからこの服を最大限活かさないと損だ!と考えてしまい、せっかくだから良いよねの精神が財布を緩めてしまう。そして服について調べていると全く別の服の情報が入ってきてしまい、物欲が増してしまう。今はこのループに嵌っている。幸い何十万もするような服がどうしても欲しい、というような状態ではないのが救いだ。ついつい買ってしまっても数千円程度である。ただ今振り返って見るとそのお金で新しいゲームが買えたんじゃないか、と思ってしまう。自分の中では未だにゲームは高級品であり、5,000円を超えるゲームはよっぽど好きなものでない限り手を出さない。しかし服には平気で5,000円以上を出してしまう。自分の価値観はゲーム<服なのだろうか。いや、ゲームは1,000円以下でも何十時間も楽しく遊べるものがあるからだろう。今では無料で遊べるゲームもたくさんあるし、APEXは恐らくプレイ時間が200時間を超えている。だからお金をかけなくても楽しいから高額なゲームには手が出ないのだろう。対して服は基本的には5,000円以上はかけなければ自分が気に入るものは手に入りづらい。ゲームのように無料で手に入るものなんて無いし、あったとしてもそれでオシャレになるのは無謀だ。

 色々書いたが結局割に合わない(合う)から金を出さない(出す)というのは価値観と言っても良いと思えてきた。普段は意識していないが自分の行動原理というのは結構論理的に表現できるのかもしれない。そうであれば自身の行動原理を分析して、どうすればやる気を出せるのかがわかるかもしれない。そうすればこの日記も続けられるだろう。